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閑話  満月の後、バシュラール家での一幕

「本日お集まりいただいたのは他でもありません。先日行われた、闘技大会のことです」

 初老の男の声が、薄暗い部屋に響く。部屋の中央に置かれた円卓を囲むのは年齢容姿も様々な十数名の男たちで、皆険しい表情をしていた。

「前半の優勝者は近衛の兵でしたが、こちらについては当然の結果でしょう。問題は後半戦の結果のほうです。飽く迄大衆向けの娯楽と銘打たれてはいましたが、軍部の名誉に傷がついたことに変わりはないと認識しておりますが……その辺り、お考えを聞かせていただきたいものですな、ブラネール卿」

 全員の視線が、示し合わせたように一人の男に集中する。くすんだ赤茶色の髪をきっちりと後ろに撫で付けたその壮年の男は、びくりと肩を跳ねさせると視線を走らせる。そしてこの場に味方が誰一人いない事を知り、みるみるうちに顔色を失っていった。

「っ……この度は斯様な失態、誠に申し訳ありませんでした……!」

 椅子を蹴って立ち上がり弾かれるように頭を下げた先には、艷やかな黒髪と豪奢な軍服を纏った青年が腰掛けている。冷ややかに男を見つめる彼は、この会合の参加者の中で最も年若く、そして最も高位に位置する存在だ。軍部の総司令官にして第二位王位継承権保持者、同時に国王の名代を勤める権限さえ持つその青年は、親しい人間からはカーラと言う名で呼ばれているバシュラール卿その人であった。

 深く礼をしたまま動かないブラネール卿を見下ろし、カーラは嘆息した。この状況を作り出したのは彼自身ではあるが、それを差し引いても余りに骨がなさすぎる。これでよく軍人を名乗れたものだ。

「……それで?」

「ひっ……い、いえ、その……何分水上戦などと言う、見たことも聞いたこともないルールでの試合でしたので……今回こそ不覚を取りましたが、部下にも厳しく罰を……」

 上ずった早口での答弁は言い訳じみていて耳障りでしかなかった。主張は確かに真っ当なものだが、そんなもの話を受ける段階でも想像がついていたはずだ。己の部隊の実力さえ測れない者に、上に立つ者としての素質はない。予定調和でしかない結果に、カーラは再度ため息をつく。

「今日付けでブラネール卿の指揮官の任を解く。異論のある者は?」

「お、お待ちください……! これは何かの間違いで……そう、そうです、これはあのシルヴェストルの藁頭の陰謀に違いありません! 私達軍部の結束を弱めようと……! でなければ栄えある王国軍の兵がどこの馬の骨とも解らぬ下賤の者に負けるはずが……!」

 影で控えている使用人を目で促せば、興奮し無様に喚き散らす男は連れ出されていく。述べられた陰謀論は失笑を誘ったが、あながち間違ってもいないのがおかしなところだ。その陰謀にカーラ自身が絡んでいることを見抜ける程度の頭があれば、あの男ももう少しこの椅子に座っていられたかもしれない。

「全く……嘆かわしいことですな。あのような者が我らと同じ立場にあったなど」

「ええ、誠に残念です。……それでバシュラール卿。後任について何かお考えがおありですかな?」

 ねっとりとした猫撫で声での問いに、少なくともお前達には天地が引っ繰り返っても任せないよ、と心の中でだけ毒づいて、カーラは僅かに考えるような素振りを見せる。信憑性を出すためにこんな茶番をしてはいるが、実際のところ結論はここに来る前から決まっていた。必要な相手には根回しも十分に済ませ、周囲からの反対意見は出ないよう整えてある。

「外郭治安維持部隊は、先任の失策のため兵の質の劣化が激しい。……レスタンクール卿。近衛の隊長である貴公に再教育を依頼する」

 突然名を挙げられ、レスタンクール卿ことラディスが、僅かばかり目を見開いた。感情が表に出難い男ではあるが、流石にこれには驚いたらしい。真意を問うかのように空色の瞳に見返されたので、渾身の作り笑顔を向けておく。

「とは言え貴公も忙しい身、定常業務は近衛隊から代理を立てても構わない。……受けてもらえる?」

「……謹んで拝命いたします」

 僅かな逡巡の後ラディスが頭を下げれば、周囲から疎らな拍手が上がった。貴族としての家柄や格の話は別として、軍における任命権はカーラにある。思うところこそあれど、ここで逆らうのは愚策だと判断したらしい。

「……では、レスタンクール卿を外郭治安維持部隊長に任命すると言うことで本日の臨時会合はお開きと致しましょう。皆様お忙しい中ご参集頂き誠に有難うございました」

 初老の男の一声を合図に、男達がばらばらと席を立つ。上官のご機嫌取りに近づいて来ようとする愚か者も居ないでは無かったが、それもカーラが一睨みすればすごすごと逃げて行った。こう言う時に限れば、王家の血の色濃い容姿は至極便利だ。

「ラディス、ちょっと残って」

「……何か?」

「軍の話じゃないよ。陛下のことでちょっとね」

 促され腰を下ろしたラディスに茶を出させると、カーラは部屋の人払いを命じる。ただの会議だと言うのに鎧を纏ったままの彼は、部屋の中に二人きりになったところで格好を崩しはしない。そう言う性分だと言うことがわからぬほど付き合いが浅い訳ではないが、かと言って話が弾む相手ではなかった。

「単刀直入に聞くよ。オルランドの具合はどう?」

「……良くは無い。ヴェルデ卿の見立てでは、やはり客人の召喚後から少しずつ衰弱が進んでいるそうだ。先日、彼が部屋を訪れた際には幾らか元気そうに見えたが……」

「そう。……それでその話、いつまで隠しておく気? そろそろ誤魔化すのも限界だと思うんだけど」

 剣呑に光る紫の瞳に睨まれたところで、ラディスは動じた素振りも無くゆっくりと首を振る。彼にとって国王の命令は絶対だ。上官とは言え主従関係に無い相手に威圧されようと、その程度で動じはしない。

「いくら陛下の御意志だからって、御身が第一なんじゃないの? あの男の件も含めて対策練るなら情報は展開しておいた方がいいでしょ。エセルの奴はもう単独行動始めてるよ」

 数日前から離宮に出入りしている女が居る、との情報は潜り込ませた者から上がっている。単純な人間を手中に収めるなら、色仕掛けは有用な手段の一つだ。そう言った手練手管ならば、商人から娼婦まで市民階級に人脈を持つシルヴェストルに一日の長がある。

「…………陛下は、御身よりも国の安寧を優先するよう仰っている。貴殿には王の名代としての役割があるから話はしたが、陛下のご容体の件は考慮せず行動してくれて構わない」

「そう。例えその結果オルランドが死んだって、命令ならそれで構わないって訳? 流石、陛下の一番の忠臣は言う事が違うね」

 悪意に満ちた言葉に、ラディスは目を伏せ押し黙る。表情が余り動かない割に、慣れてしまえば言葉で彼を揺さぶるのは難しくは無かった。残念ながら、多少揺さぶってみたところで頑固な彼を掌の上で転がすのは至難の業ではあるのだけれど。

「まぁ、いいけどね……それじゃ、私も好きにさせて貰おうかな」

 端正な容姿に僅かに浮かんだ獰猛な笑みに、気が付くものは誰も居なかった。

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