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「……聞いてねぇんだけど」

 数日後。フランの執務室まで呼び出されたスヴェンは、押し付けられた大量の書類に頭を抱えていた。フラン曰く、それらは全て必要書類で、スヴェン本人が目を通しサインをする必要があるのだと言う。目の滑りそうな堅苦しい文字の羅列に、スヴェンは頭を抱えるばかりだ。

「どの話でしょう? 貴方に話していないことは両手の指でも足りないほどありますが」

「全部だよ、ぜーんーぶ! 何だこのセイヤクショだのケイヤクショだの言うやつは。しかも俺がアンタの部下になるとかフザケた内容の」

「言葉通りですし書かれている通りですよ。他の家を牽制する意味でも、これが最善の策です。貴方に不利な内容にはなっていないはずですが、何か問題がありましたか?」

 先程から一枚たりとも進まない書類を横からパラパラと捲り、フランが小首を傾げる。当のスヴェンはまだ有利も不利も判断できるほど読めてはいないのだが、優秀な彼はそんな可能性など思いつきもしないらしい。これだから貴族は、と毒づきそうになったが、こればかりは身分よりもフランの性格の問題だろうと思い直す。

「つーか、なんでそんな話になってんだよ」

「部下の件ですか? ……そうですね、まず第一に貴方に子供一人を養うだけの経済的基盤が無いことが挙げられます。個人資産は勿論、そもそも職がありませんからね。現状のように他家の金銭的援助を受けていると、いざという時の介入を避けられません。その問題を解決するために、一先ずラシュレイ家で仕事を提供することにしました」

 広げた書類の一節を指差しながら、フランがつらつらと説明を続ける。

「貴方を離宮から出すという方針は合意できていましたから、他家との交渉は問題無く進められました。それから、先程部下という言葉を用いられましたが、これは臣下にすると言う意味合いではなく純粋な雇用契約です。貴方はこの契約書に書かれた通りの仕事をこなし対価を得る。雇用主と従業員と言う関係性にこそなりますが、そこに忠誠や服従は必要ありません。貴方の名目上の貴族としての身分にも変更はない。ただ与えられた職務を真摯に遂行してくだされば結構です。……何かご質問はありますか?」

「話が長くてさっぱりわからん。一言で言ってくれ」

「そうですね。悪いようにはしないからさっさとサインを済ませてください、でしょうか」

 ペンを手渡され、スヴェンは苦い表情を浮かべる。仕方なく文面を斜め読みしながらサインを記して行くと、先程の雇用契約の話もすぐに見つかった。スヴェンに対価として払われるのは、一カ月辺り金貨が一枚。また、屋敷を一軒と最低限の使用人数名が、ラシュレイ家から無償で貸し与えられると言う。デュランベールの貨幣価値などスヴェンには解らないが、どう安く見積もっても破格の高待遇だ。

「なぁ、こんなに貰って仕事が屋敷の維持管理って、いいのかよ? 掃除や整理整頓くらいガキでもできるだろ」

「…………機密書類の類も管理対象に含まれていますからね。妥当な報酬かと。ああ、紛失や破損には気をつけてくださいね。特に本は全て重要なものですから」

「そうかよ。ったく、お貴族様ってのはよくわかんねぇな……ほれ、全部サイン終わったぜ。もう良いよな?」

 その時、フランが不自然に目を泳がせていたことに、スヴェンは気がつくことができなかった。気がついたところで、もう手遅れなのだけれど。

 後日。数少ない私物を纏め、与えられた広すぎる屋敷を訪れたスヴェンは絶句することとなる。壁中が蔦に覆われた幽霊屋敷も斯くやと言わんばかりの建物。十分すぎる広さがあるはずが、書庫に納まりきらなかった本や書類に浸食され足の踏み場が無くなった沢山の部屋。それが書庫ともなれば、最早棚も床もなく所狭しと積まれた本で、扉を開けるのがやっとと言った始末。

 金貨100枚積まれても御免だと王宮内で評判の、ラシュレイ家の書庫管理人。そんな職を得て、幼子を連れたスヴェンの新生活はここに始まることとなった。

海の底から見た星は 第一章 完

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