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 翌日。汚れきった書庫から本を運び出す終わりの見えない作業に勤しんでいたスヴェンの元に、一人の客人が訪れた。

 カツカツと足音を響かせ押し入ってきたのは、シルヴェストル家の当主ことエセルバート・シルヴェストル。王国内の交易と商売を牛耳る彼は、部屋の角に巣を張る蜘蛛と埃まみれのスヴェンを交互に見て苦い表情を浮かべる。

「スヴェン。今から収穫祭の衣装合わせだ。すぐに……いや、顔と手くらいは洗ってからでいい、迅速に外に出ろ」

「あ? なんだよ急に」

「急じゃない、手紙送っただろ。……やっぱり忘れてたな、お前」

 そう溜息をつくエセルを見て、スヴェンはようやく数日前に届いた封筒の存在を思い出した。薔薇と城模様の封蝋で閉じられたそれは、届いたままの状態で今も尻のポケットに入れっぱなしになっている。既にボロボロになっているであろうそれをこの場で取り出す勇気は、いくらスヴェンでも持ち合わせてはいない。

「あー……悪い、どこ行くんだったっけか」

「市街の東地区。馬車待たせてるから早く来いよ」

 言葉少なにそう告げると、エセルはひらりと上着の裾を翻らせ大股で部屋を去る。言葉の端々から感じるピリピリとした雰囲気は、先日までの彼には見られなかったものだ。少しばかり違和感を覚えたものの素直に従っておいたほうが良さそうだと結論付け、スヴェンは気が進まないながらも彼の後を追う。

 踵の高い靴を苦にする様子もなく、エセルの歩みは早い。スヴェンが二階の書庫から出た時には、既に吹き抜けになった玄関ホールに足を踏み入れたところだった。遠目にも目立つ金髪に目を向ければ、彼から数歩も離れない位置、玄関扉のすぐ脇に佇む少女の姿が視界に飛び込んできた。腕に分厚い本を抱えたまま立ち尽くす彼女の紅い瞳は、静かにじっとエセルの姿を追っている。

 エステルを人目に触れさせてはならない。耳にタコができるほど聞かされている言葉が脳裏に浮かぶ。流石のスヴェンも焦りを覚えるが、それでもこの距離があっては何もできはしない。飛び降りて二人の間に割って入ることもできなくはないだろうが、あの貴族はそんな粗雑な誤魔化しが通用するような相手だとは思えなかった。

 けれど、幸いにして彼の予想は裏切られることとなる。

 ただ狼狽えるだけのスヴェンを余所に、エセルは少女には一瞥もくれず真っ直ぐに出て行ったのだ。この家において明らかに異質なはずの彼女のすぐ隣を、まるでそこに誰も存在しないかのように。

「……これがエルの力ってヤツか」

 ぽつりと呟いた言葉が聞こえるはずもないと言うのに、少女は階下から真っ直ぐにスヴェンを見上げると紅色の瞳を細め艶然として見せた。

 立派な体躯の馬に引かれ、馬車はガタゴトと通りを走る。分厚い壁と天井に囲まれたこの乗り物が、スヴェンは少しばかり苦手だった。屋敷から市街への門まで些か距離があるとは言え、歩いたほうが気楽だと思う程度には。

「酔ったか?」

「そこまで繊細にはできてねぇよ」

 怪訝そうに翡翠色の瞳を細めたエセルに首を振って応え、スヴェンは軽く伸びをする。四人乗りの箱馬車は、王都の貴族たちにとって標準的な移動手段だ。窓こそ無いが内部は相応に広く、大の男が三人顔を突き合わせて居ても然程窮屈さは感じない。

「……つーかアンタも居たんだな。ルカっつったっけ」

「チェインとお呼び下さい、スヴェン殿」

 素っ気なく言葉を返したのは、シルヴェストル家の筆頭補佐役であるルクシア・チェインと言う男だ。多忙なエセルに代わり家内のことを取り仕切る彼の事は、シルヴェストル家で厄介になっていた頃から見知っている。とは言え客分と家臣という立場上、話すことはほぼなかったが。

「この時期は色々手が回らないんだ。お前のお守りはルカに任せて、別の用事を済ませようと思って」

「はぁ、そうかよ」

「忘れてそうだから話しておくけど、今日の目的は収穫祭で着用する礼服の仕立てだ。服の注文なんて本来は屋敷で行うことだけど、ラシュレイの屋敷は市民の立ち入りを禁じてるから店舗に出向くことになった。基本的なところはこっちで注文してあるし、今日は細部のバランスとサイズの調整が中心になるかな。代金は立替えておくけど、今回は施しはしないから後で払えよ」

 そう悪戯っぽく笑って見せたエセルから差し出された紙には、諸々含めて150D、つまりは金貨一枚半と言う額が記載されていた。庶民の年収の半分にもなる金額に、スヴェンは思わず目を見張る。

「そんな顔するなって……これでもかなり安く抑えたんだからな。額面は実費のみ、利子もオマケしてやるからちゃんと返せよ」

「いや、押し売りじゃねぇかそれ……」

「格の合わない服装で出席して、顔も知らない連中からあれこれ言い掛かりつけられるのは嫌だろ? 必要経費だと思って諦めとけ。……と、あともう一つ渡すものがあったな」

 苦い表情を隠さないスヴェンに、エセルの隣に座したルカから数枚の紙束が手渡される。びっしりと記された文字は豆粒よりも細かく、読む気になどなれそうにもない。

「要注意人物のリストだ。収穫祭当日までに、最低限名前だけでも頭に叩き込んでおけ」

「無茶言うなっての……何人分だよこれ」

 紙束を放るようにして突き返すと、目の前の主従は揃って溜息をついて見せた。それに加えてルカのほうは、お前は馬鹿かとでも言わんばかりの冷ややかな視線まで向けてくる。従者の側から客人に話し掛けるのは失礼、という常識に則った行動とは言え、これならばまだ口に出して罵られた方がまだ気は楽だ。

「これでも随分絞ったんだけど……まぁ、こうなる気はしてたよ。とりあえず時間が許す限りは説明するから、一度でちゃんと覚えろよ?」

 組んだ足の上で頬杖をつき、エセルは口元に弧を描いた。挑発するような表情は貴族らしいとは言い難いが、彼の猫のような瞳には嫌味なほど似合っている。

「お前の好きそうな話題だと……まずはアルカネット婦人辺りかな。夫である先代当主が大災害で亡くなった後、幼い現当主を支え女手一つで領地を切り盛りしてるんだが……その手腕より、男遊びが酷いことで名が知れてる。だいたいいつも胸元を強調するタイプのドレスでの出席だ」

「へぇ……別に何も悪いことないじゃねぇか。ちなみに美人?」

「独身時代は中央平野で五本の指に入る美姫、って呼ばれてたけど……男漁りだけならまだしも、お前みたいに上背のある屈強な男を鎖に繋いで飼うのがお気に入りだそうだ。間違っても変な気起こすなよ?」

「怖ぇ未亡人だな、おい……」

「でも、趣味の悪さなら東のグルナード家のご兄弟も負けてないよ。兄の方はとにかく女なら見境がなくて……」

 まるで世間話のような調子でリストを消化しながら、馬車は真っ直ぐに石造りの道を進む。貴族街には門が二つあり、東側を抜ければそこはもう市街の東地区だ。貴族を始めとした富裕層向けの店が立ち並ぶその地区は、他のどこの地区よりも静かで整然としていた。

「……閣下。そろそろ目的地です」

「ん……じゃあスヴェン、続きはまた帰りに。ルカがいれば大丈夫だろうけど、問題起こしたり巻き込まれたりするなよ?」

「巻き込まれるのは俺にはどうにもできねぇよ……」

 馬の嘶きと共に、馬車がぎしりと停車した。御者の合図を待たずに車を降りたエセルは、その身一つで店舗へと入っていく。ちらりと看板に目をやれば、毒々しい蛇模様が描かれているのが見えた。

「……何の看板だっけか、あれ」

「薬屋でございますスヴェン殿。我が主は植物の卸も生業としております故」

「おう……つーかよ、お前その気味の悪ぃ喋り方なんとかなんねぇ? エセルの奴と話してるときはもっと普通だったろ。嫌がらせかそれ」

「仮にも貴族となられた身、傅かれる立場にも慣れさせておけと言うのが主君の命でございますので」

 淡々と小難しい言葉を紡ぐルカだが、彼自身とて王国一の金持ちであるシルヴェストル家を動かす身である。身分こそ正式な貴族ではないものの、大別すれば傅かれる側の人間だ。少なくともただの成り上がりのスヴェンより余程発言力はある。

 居心地の悪い雰囲気を乗せ、馬車は走る。しとりしとりと降り始めた雨が、人気の少ない街並みをどこか暗く見せていた。

   

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