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「きみがスヴェンくんだね?」

 控えの間に移って暫しの後。ざわざわと困惑や憶測の声が飛び交う部屋の片隅で図太くも居眠りをしていたスヴェンに、一人の男が話しかけてきた。背は低いが恰幅のいい壮年の男――中央平原一の大貴族であるマリネルダは、相変わらずにこにこと邪気のない笑顔を浮かべている。

「あー……そっすね。お初にお目にかかります? 閣下におかれましてはご機嫌うるわしゅう?」

「いや……楽にしてくれて構わないよ、どうせ非公式の席なのだからね」

 滅茶苦茶な言葉遣いに軽く苦笑を零しつつも、マリネルダは怒る様子もなくスヴェンの隣に腰を下ろす。

「きみとは一度話をしてみたかったんだ。なんでも闘技会の優勝者だとか……良ければ武勇伝を聞かせてはくれないかい?」

「別に話すほどのことじゃねぇ……ないので、勘弁してくれませんかね」

「おや、それは残念……あのシルヴェストル卿が誰かの後見になるだなんてなかなか珍しいことだからね。せっかくの機会だし、仲良くしておきたかったのだけれど」

「はぁ……」

 初対面とは思えない友好的な態度に僅かばかり違和感を覚えながら、スヴェンは曖昧に返事を返す。どこの誰から聞いたのか知らないが、どうやら随分とスヴェンのことを買っているらしい。

「それにしても災難だね。初めての午餐会がこんなことになるなんて」

「いや、まぁ……多いんすか、こういうの」

 隣から動く気のないマリネルダをあまり邪険にする訳にも行かず、スヴェンは適当な質問を返す。視界の端で不安げにこちらに目線を見つめるエセルとシーギスの姿が目に入ったが、どう言う事情か助けに入る気はないらしい。

「ううん……そうだね、王宮で毒物が使われたって話は、最近はあまり聞かないかな。国王陛下にエルのご加護があるのは相応に知られた話だから」

「エルの加護?」

「ああ、シルヴェストル卿から聞いては居ないのかな。当代の国王陛下は毒を見抜く目をお持ちだと言われているんだ。詳しいことは知らないけれど、その加護のおかげで今もご壮健であられるのだとも聞くよ」

 私も噂に聞いた限りだけど、と悪戯っぽく片目を閉じてみせるマリネルダに、スヴェンは肩を竦めた。相手が女ならともかく、いい年の男にされて嬉しい仕草ではない。

「物騒な話だな」

「一つの家に男子が複数産まれた以上、後継の座を巡る争いは起きるものだよ。稀に上手くやっているところもあるけれど、ね」

「そう言うもんっすかね」

「うん、座る椅子がほしいなら実力で奪えって言うのがこの国の古くからの伝統だから」

 冗談とも本気ともつかぬ様子でそう笑って見せると、マリネルダはそっと声を潜める。

「もし何か困ったことがあったら連絡しておいで。王都の屋敷に手紙をくれれば、きっと私のところまで連絡が来るはずだ。然して秀でたところのない凡人だけれど、何かの役には立てるかもしれないよ」

「……悪ぃけど、甘い言葉にゃ裏があるって言うんで」

「はは、手厳しいねぇ……まぁ今日はこんな場だし失礼するけれど、いつかゆっくり話す機会があることを願っているよ」

 軽く一礼し立ち去った男の背を見送り、スヴェンは深くため息をついた。

 それから暫くの後。数名の兵士を連れ、カーラが控えの間へと姿を表した。その端正な顔立ちには、隠し切れない苛立ちが見て取れる。彼が機嫌良さげにしているほうが珍しいとは言え、ピリピリとした空気に客たちはしんと静まり返った。

「……結論から報告します。神官の調べで件の皿からは毒物が検出されました。毒物の入手元についてはまだ特定できていませんが、状況から見て調理関係者はほぼ白、毒味後に皿を運んだ使用人に嫌疑がかかっています。しかし現在容疑者の行方は不明、兵に捜索を命じています」

「運搬役には信頼の置ける者を使うはずでは?」

「本来運搬を担当する予定だった者が体調を崩し、急遽代理の者が手伝いに入ったとの情報を得ています。現在、そちらにも毒物が使用された可能性を鑑みつつ、捜査を継続中です」

 淡々としたカーラの声が部屋に静かに響く。事務的ではあるが敬意の見られる言葉遣いに少しばかり違和感を覚えるが、流石にそれに言及できるような空気ではない。スヴェンにできることは、精々姿勢を正して話を聞いているふりをするくらいだ。

 見咎められぬよう周囲を見回せば、ばちりと見知らぬ男と視線が噛み合った。鋭い視線でスヴェンを見据えているのは、黒に近い灰色の髪を持つ立派な体躯の青年だ。どうやら付き合いのある貴族達より少し年嵩のようで、スヴェンと然程変わらない年齢に見える。すぐに視線は逸らしたものの、余所見を咎められたようでどことなく居心地の悪い思いを味わった。

「……以上で報告を終わります。参列者の皆さまはこのままお帰り頂いて構いません」

 そうこうしているうちにカーラの話も一段落し、一人また一人と貴族たちが席を立ち始めた。これでようやく解放されると、スヴェンは大きく伸びをする。だが、帰宅の許可が出た後も、兵士たちは扉の傍から動こうとしない。

「……シルヴェストル卿。少し構わないだろうか」

 カツカツと踵を鳴らし、カーラがエセルに歩み寄る。その声音は冷やかで、表向きにはこの二人が『不仲』とされていることを思い出させた。不穏な気配に気がついたのだろう、部屋を出ようとしていた貴族たちも足を止め、二人の様子に注目している。

「何かご用でしょうか、バシュラール総司令官」

「姿を消した使用人だが、貴公の領地の出身だと自称していたらしい。何か心当たりは?」

 良く通る声が、控えの間に凛と響く。彼の表情からは、およそ感情らしきものは読み取ることが出来ない。

「心当たりと仰られましても、私も領民の全てを把握している訳ではございませんのでお答え致しかねます」

 対するエセルも、声を潜める様子はなく真っ直ぐにカーラに対峙していた。口元に引かれた笑みはどこか挑発的で、遠まわしに嫌疑を掛けられたにも関わらず動揺する様子は欠片もない。半ば睨むようにじっと見つめ合う二人を、来客達は固唾を飲んで見つめていた。

「……身に覚えこそございませんが、容疑者が私の名を出したのは事実。一刻も早い犯人確保のため、軍の方々の捜査には全面的に協力致しましょう」

 見つめ合いの末、折れたのはエセルの方だった。余所行きの持って回った言い回しで妥協を告げ、カーラに向かって軽く礼をして見せる。その視線が少しばかり恨めしげに見えたのだけは、恐らく演技ではないだろう。

「協力感謝する。暫くの間、貴公には軍の監視下に入って貰う」

「畏まりました、閣下。……ああ、その前に一つ言付けを頼ませていただいてもよろしいですか」

 そう告げるや否や、エセルはすっかり蚊帳の外な気分で成り行きを見守っていたスヴェンに向き直った。動揺するスヴェンに少しばかり笑みを深くすると、彼は懐から小さなメモを取り出し、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。

「スヴェン。忙しいところ申し訳ないけど、今日中にうちの屋敷にこの手紙を届けてくれないかな」

「は? いや……」

「じゃ、頼んだよ」

 断る間も与えず、満面の笑顔を浮かべたまま紙を押し付けると、エセルはくるりと踵を返す。兵に囲まれそのまま部屋を後にする彼を、スヴェンはぽかんと口を開けたまま見送ったのだった。

   

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