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「ご報告がございます、旦那様」

 明朝。機嫌よく屋敷に戻ったスヴェンを、爽やかな朝の空気にそぐわぬ陰鬱な顔をした執事が出迎えた。常以上に悪い彼の顔色、そして焦ったような早口に、嫌な予感がじわじわと湧き上がる。

「……本日未明よりお嬢様の姿が見えません。屋敷付近に怪しい人影があったとの報告が上がっておりますので、もしかすると夜の間に何者かに……」

 直後、予想通りにもたらされた最悪の知らせに、高級な酒と女で満たされていた気分は一瞬にして吹き飛んだ。

 暫しの後に姿を現したフランは、やはり他の貴族たちと同じく、どこか疲れたような表情をしていた。聞けば、軍部の動きの皺寄せで一晩中書類仕事に追われていたのだと言う。

「お前みたいなガキまで徹夜仕事かよ。もっと人雇ったほうがいいんじゃねえの」

「……僕は成人済です。人手不足は王都全域における課題で即日の解決は困難ですし、そもそも僕以外では先方の提示する期限に間に合わせられません。それに、何事も無ければこれから休む予定でした。緊急事態なので仕方がありませんが」

 淡々と言葉を返す彼の元に、執事がふらふらと近付いていく。報告を受ける様子は傍から見れば違和感が先立つが、フランが出す指示に迷いはない。姿形は少年そのものでもやはり貴族の当主なのだなぁと、どこか場違いな感想を抱くスヴェンはどこまでも蚊帳の外だ。

「さて……一先ず、屋敷近辺の調査を依頼しました。現状では情報が少なすぎて具体的な話は何もできないのですが……いくつかの予想できる事例とその場合のリスクについて、貴方と認識を共有しておきたいと思います」

 執事を見送り二人になった部屋に、フランの声が静かに響く。

「まず第一に、これは最悪のケースになりますが、国家に対して悪意ある第三者が彼女を王の血筋だと知った上で連れ去った、という場合が考えられます。……この仮定では、彼女の身の安全については心配する必要はありません。幼子とは言え王族を粗末に扱うほど相手も馬鹿ではないでしょうから」

「それのどこが最悪なんだよ」

「おそらく相手は、王女の存在を旗印に現状の国家体制に反旗を翻すでしょうね。元より男系男子のみの王位継承を疑問視する声はありましたし、現国王陛下の即位直後にも同様の理由による反乱が起きた前例もあります。その時は旗印が直系でなかったことやそもそも時勢が混乱していたこともあり、当事者であるバシュラールとレスタンクールの粛清で片が付きましたが……この仮定のケースではそう上手くはいかないでしょう。確実に内乱になります」

「……まぁ内乱は良くねぇな、うん」

 あからさまに話を聞き流しているスヴェンに、フランは冷ややかな視線を向ける。とは言え彼には話を短くする気も易しくする気も無いようで、つらつらと語られる言葉が留まることはない。

「この事例が最悪とされる理由は、引き起こす結果だけにある訳ではありません。相手の目的が王女の身柄の確保であった場合、彼女の存在を表沙汰にしない限りは僕らにその企みを阻止する手立てがないのが問題なんです。ラシュレイ家で動かせる人員では、下手人が領地に逃げ帰る前に捕らえるのは難しい。更にそれを他家に怪しまれずに、となると最早不可能と言ったほうが正しいでしょうね」

「あー……で? それなら結局どうすんだ?」

「どこかで妥協するしか無いでしょうね。彼女の存在を切り捨てて王族とは一切無関係の娘だと言い張るか、存在の秘匿を諦めて軍や他家に協力を要請するか……ひとまず現時点ではこの事例に当てはまらないこと、もしくは最終的にこの事例のような行動を起こすにしても計画的な犯行ではないことを願うしかありません」

 さて次のケースですが、と淀みなく紡がれる言葉を半ば無視して、スヴェンは窓の外へと視線を移す。難しいことを考えるのはフランの担当だ。過程がどうあれ、スヴェンは最終的に彼が出した結論と指示さえ確認しておけば問題はない。それに真面目に聞いたところで、全て話し終える頃にはほとんど頭から抜け落ちている自信もあった。

 屋敷前の石畳を、がらがらと馬車が走っていく。収穫祭前と言う時節もあってか通りは常より賑わっているが、それでも市街に比べれば人口の少ない貴族街はやはり閑散としていた。仮にエステルが自分の意志で外出しただけだとしても、幼子の独り歩きが見咎められないような環境ではないだろう。

「……そういや、こないだ妙なことがあったな」

「妙なこと、ですか?」

「エルの奇跡とやらで説明つくのかも知んねぇけどな。嬢ちゃんが目と鼻の先に居るってのに、まるで気付かれなかったことがあったんだよ」

 半月ほど前、エセルが屋敷に訪れた日のことを話して聞かせると、フランは深く溜息を零して見せた。再三釘を刺されていたことなので仕方ないとは言え、表情の乏しい彼にしては珍しくその面は呆れ一色に染まっている。

「……そういうことは、早めに報告してください」

「いや、結局気付かれてなかったんだし別に良いかと思ってよ」

「そういう問題では……相手が気付いた上で泳がせている可能性も、今回の事例に関して言えば限りなく低いとはいえ皆無では無いんですから。次からは、何か少しでも変わったことがあったらすぐに連絡してください」

「おー、まぁ気をつけるわ」

 スヴェンの気のない返事に再度溜息を零すと、フランはゆるりと目を伏せた。珍しく思考の海に沈んでいるようで、その瞳は机の一点をただじっと見つめている。指先一つ動かさぬその様子に少しばかり異質さを覚えたものの、小難しい話は門外漢のスヴェンとしては掛ける言葉も見つからずただ彼が言葉を選ぶのを待つことしかできなかった。

「……エステルの件ですが、やはり貴方の考えた通り、エルの力を用いた可能性が高いでしょう」

 暫くの後、ようやくフランが重い口を開いた。感情の乗らない瞳が、静かにスヴェンを見上げている。

「貴方の目撃したような……一言で言えば認識阻害に分類されるような現象は、エルの奇跡としても幾つか事例が認められています。かつて行われた実験結果からの仮説ですので、確実性が担保できるレベルの話ではありませんが……現に今も、僕らは実際には存在しないはずの空や太陽を視認している訳ですから、筋の通らない話ではないはずです」

「はぁ……ニンシキソガイねぇ。そう言われてみりゃそんな気もするけど、いまいち実感湧かねぇなぁ……その実験ってのは?」

「この国が水没していると言うお告げがあってすぐ、罪人を縄で繋いで国境を超えさせてみたそうです。結果、被験者の大半は溺死体として回収されました。辛うじて息のあった何名かも自身が溺れていたという認識はなく、山を歩いていたら急に息が苦しくなりそのまま意識を失ったと報告したとのことです。なお、当時の現場責任者は軍を代表してカーラが、検分は神官を代表してシーギスが行った筈なので、ある程度は信頼できる報告だといえるでしょう。……勿論、彼らの認識能力が阻害されていないという仮定の下での話になりますが」

「……怖ぇ話だな。何も解らねぇうちにあの世行きかよ」

「ええ。恐ろしいですよ、神の奇跡というものは。あれは到底、人の手に負えるようなものではありません」

 そう平坦な声で語られる言葉が、二人だけの静かな部屋にやけに響いて聞こえた。

   

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